生き物から食べ物へ:読書感想『屠場』

先日、約8年ぶりに焼肉へ行きました。そして初の一人焼肉。
…と、周りの人たちに話すと、

「えっ 8年⁉︎ もっと行きましょうよ…! 3ヶ月に一度くらい」

「もっといっぱい食べてくださいよ…‼︎」

など、けっこうな割合でお肉食べろコールをいただきました
あっ、はい…食べるようにします。


そんなこんなで、以前読んだ本のことを思い出しました。


さて、水曜日は【〜うとうと読み読み〜】、本のアレコレをお話ししています。


今回は、鎌田 慧(かまた さとし)著『ドキュメント 屠場(とじょう)』の読書感想をお送りします。

※現在、本が手元になく、記憶と内容があやふやになっている箇所が多々ございます。
センシティブなところもあるかと思いますが、何卒ご了承くださいませ。

食肉とそれに携わる人々のドキュメンタリー

この本は、出版されたのが1998年とだいぶ前のものなのですが、私が読んだのは最近のことです。

しかし内容は、現在でも恐らく解決には至っていない問題提起がなされており、大変興味深いものでした。


牛、豚、鶏をはじめ、こういった動物を食べられるようにするには「屠殺」という仕事は避けられません。
その仕事が古くから差別を受けていることに、深く言及されていました。
神道からケガレの話、日本の食肉の歴史から、屠場で働く方々の差別との闘いなど。

食卓に並ぶまでの経緯ってほとんど知らない


食文化の変遷という意味では、日本はかなりサイクルの早い国なんだろうなと思います。
ここ数年で、あっという間にベジタリアン、ヴィーガン、ハラールの方々など…、食べ方の多様性も浸透してきた感じがあります。

難しいことはよくわかりませんが、個人的には
「それぞれの身体と考えに合った食事ができればいいんじゃないかな」
とボンヤリ考えるようになりました。


私自身は、だいたいの生き物はかわいいなぁ、と思うのですが、かといって「動物を食べるのはかわいそう」とは考えていません。
極端な話、たとえば、乗馬を楽しんだ後に馬刺しを提供されたら、ためらわずいただきます。
もう食べ物の形になってしまったのなら、そのようにいただくと思います。

ただ、もしも「さっきあなたが乗っていた馬を食べるから、処置を手伝ってください」
と言われたら、わかりません。

その過程は、普段は別の誰かがやってくれているんだと、気付かされます。


食べることは、その生き物を殺すこと。それは肉や魚、野菜も虫でも同じかな、と、私は思います。

残さずきれいに食べることが、なんかこう…供養になればいいなぁ。
おかげで毎日、生き延びてます。


関西には「始末の料理」ていう言葉があるそうです。とてもすてきな言葉。
pixivFANBOXの記事にもちょろっと書いています。こちらはしばらく全体(無料)公開にしていますので、ご興味あれば読んでみて下さい)

毎日三食、食べものが料理として食卓に並ぶまでの過程は、思っていたよりずっと長く複雑で、たくさんの人たちが関わっていることを知りました。


お肉、おいしいです。食べたらなんか元気が出る。

今日も一日、いただきます。ごちそうさまでした。



今日はこの辺で。ではまた。


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