ごはんと器

日曜日はフリートーク、【右から左へ聞き流す一人しゃべくり雑談】でお送りしています。

今回の話題は、食事について。
お話ししたいなと思います。


ひとり暮らしをし始めてはや数ヶ月、否応なしに自炊をするようになりました。

そして改めて
見るおいしさ
も、あるんだよなぁと、とみに感じるようになりました。

その第一が、料理の盛り付けです。

巷で言う「〇〇映え」とは、また違う意味での「映える」ですね。
元祖ごはん系の映え=盛り付け なのかなぁ。

配膳もそうですけど、
「食べやすく、『おいしそう!』と思えるかどうか」が、
盛り付け≒器と料理の組み合わせでだいたい決まるのかなー、と。

北大路魯山人にまつわる本を読みたくなってきた…。


丼ものなど、乗っかった具を混ぜて食べる料理もたくさんあります。しかし
最初からぐっちゃぐちゃに混ぜられて供されることはほとんどないと思いますし、
たとえそうやって出されたとして
「とてもおいしいですよ(ニコッ)!」
とすすめられても
「あっ…ハイ…」
となってしまい、味わう前に「???」しか浮かばなくなると思います。
(よほど気の知れた人同士とか、そういうコンセプトだと事前に知らされている場合であれば、
そんなこと関係なしに、楽しく食事ができるとはもちろん思いますけどね!)

白い器にきんぴらごぼう。盛り付けはまだ「天盛り」しか知らない

ふだんの自炊では食べる人間が私一人なので、「食べるときに混ぜるのめんどいから、作った直後の今ぐちゃぐちゃに混ぜといちゃれ」でも全然構わないんでしょうが、なんかこう…
終わる気がするので実際にやったことはないです。


「見ておいしい、食べておいしい」を目指したいところです。
ところが、私は料理の手順の中では特に「味付け」が苦手で、なんとも難しい。

見ておいしくしようとするとあまりおいしくなく、食べておいしくしようとすると見た目が(笑)になってしまう…。うーむ。両極端。

レシピ本や作り方を見ながらその通りに作ることは何とかできるのですが、人から聞いたり冷蔵庫の中身を確かめ、分量や味を想像して味見したり…というのがまだまだできず、「うちの味」には遠く感じます。
最近になってやっと少しずつわかり始めたかな、という感じです。

まあ、たとえその料理の見た目も味も実際にはそんなにおいしくなくても、
「おいしい食べ方」というのはある、と思います。
(人と食事をするときは特に…)

そのためにあるのがマナー、なんでしょうね、きっと。

…おいしくできず、盛り付けもしっちゃかめっちゃかになったときは、いつもより5倍増しくらい丁寧にごはんを食べようと心がけています…。

食事にはライブ感があるな。

献立決め=セットリスト
買い物メモ〜レシピと材料確認=セッティング&リハーサル
実食=ライブ
おかわり=アンコール
ごちそうさま=スタンディングオベーション
洗い物が終わった後は、打ち上げと称してコーヒーとお菓子

みたいな感じで。

…ずっと食べてますね…。幸せ。


おいしさは、状況にも大きく影響されると思います。

仲間と焼肉、久しぶりに会った友達と行くカフェのケーキ、リモート飲み会で焼き鳥串、ヘトヘトに疲れた日のコンビニのホットスナックなどなど。

こういった状況のときは、ごはんそのもののおいしさや器との組み合わせ云々は関係なく、
ただただ、沁みるおいしさを感じます。

その場面を味わえるような、心の器を揃えていきたいなぁ。
そんなことをボンヤリ考えています。

今日はこの辺で。ではまた。


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